奈良県桜井市には、大神神社(おおみわじんじゃ)があります。

ここには三本鳥居が建っています。

これがその三本柱の鳥居。

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酒のブランドでも有名な「サントリー」という会社がありますが、
実はサントリーの社名は、この三本柱の鳥居が由来しているのです。

だから「三鳥居→サントリー」なのです。

他にも、創業者が「鳥居」という名前だったということもありますし、
大神神社の氏子でもあるからでしょう。

だから大神神社に行くと、サントリーの酒が献上されています。

前回お伝えしましたが、秦氏は物部氏の作った神社を乗っ取っていったので、
現在は秦氏の神社がほとんどで、物部氏の神社は少なくなっています。

なぜ、そうなったか?

理由の一つとして、物部氏は血の儀式を行っていたからというのが挙げられます。

血の儀式とは、牛などの動物の首をはね、その血を塗ったりしていました。

また明治時代になると、「耶蘇教(やそきょう)=キリスト教のこと」は、
ワインを血の代わりとして飲み、パンを肉の代わりとして食べていたのですが、
人間の血を飲んだり、肉を食べたりしているんではないか、という噂話が広まり、
あまりにも野蛮だとして迫害されました。

物部氏の儀式は、そうした意味で人々から嫌われたのです。

仏教が日本に入ってきてからは、血を使う儀式など実におぞましいということから無くなったのです。

秦氏はこれまで色々と名前が変わってきましたが、
中でも最高の権力を持っていたのが「賀茂氏(かもし)」です。

京都の「賀茂神社(かもじんじゃ)または鴨神社」は、
賀茂氏からきている神社で、天皇家の京都御所に近い場所にあり、権力も持っています。

で、そこには物部の宮司が暴走しないように、「禰宜(ねぎ)」と呼ばれる神職がいます。

近年の一般神社では、宮司の下位である権禰宜(ごんねぎ)の上位に置かれ、宮司を補佐する役目となっています。

一部では色が異なるところもありますが、多くの場合、ライトブルーの袴を履いているのが禰宜です。

こちらが禰宜の画像

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だれでも、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?

因みに、賀茂氏が禰宜を派遣したからそれが「鴨葱(かもねぎ)」という鍋料理の名前として伝わっているのです。

日本という国は、そうした歴史を駄洒落の中に隠して伝えてきたのです。

さて、牛などの動物の首をはね、殺して、皮を剥いでいた人たちは、
血が流れるので、その作業を河原で行っていました。

後に彼らは「河原者(かわらもの)」と呼ばれ、嫌われるようになります。

ここから被差別民が始まり、士農工商より低い地位に置かれ、
今に伝わり、それが同和や部落問題となって気の毒なことになっています。

とはいえ「似非同和」もあります。

物部氏の作った神社は、そうした儀式をやっていたというのを認めてませんが、やっていたことには間違いないのです。

一方の秦氏は、そうした儀式はやっていません。

物部氏は、「伊雑宮(いざわのみや)」が伊勢神宮の発祥と言ってます。

となると、伊勢神宮は後から作られた2つと足して、3つの社殿で本当の伊勢神宮となるのです。

これを「三位三体」といいます。

三位三体のことは、前にも紹介しましたが憶えてますか?

これは古事記日本書紀に書いてあります。

次の画像は古事記と日本書紀。

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古事記によれば、この宇宙を作ったのは三人の神様だと記されています。

これを「原初三神(げんしょさんしん)」とも「造化三神(ぞうかさんしん)」とも言います。

まだ天地も定まらず混沌としてた時、最初に現れた神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。

そしてその次に現れたのが高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と
神産巣日神(かみむすびのかみ)で、この三人の神様を造化三神(ぞうかさんしん)と言っています。

天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神…この三柱の神々は各々の独り神です。

つまり、「三位一体」ではなく、「三位三体」だということを日本の国史の冒頭で宣言しているのです。

しかも、一人一人が男神と書いてあります。そこには、女神は入っていません。

かつて日本には、三井、三菱、住友、安田という四大財閥がありました。

が、第二次世界大戦後、四大財閥も含め、全ての財閥が米国のGHQによって解体されました。

しかし、財閥解体後も四大財閥などは企業グループとして機能しています。

その四大財閥の一つである三井財閥には、昔から「三井文庫」という資料館があります。

三井文庫のホームページ

ここには日本で一番古い、伊勢神宮の姿を描いた絵が残されています。

それには内宮と外宮が描いてあるのですが、今の伊勢神宮とは全く違います。

その絵には社殿が3つあるのです。

今の伊勢神宮には社殿は一つしかありませんが、昔は内宮にも外宮にも3つずつあったのがわかります。

しかも各社殿は横一列ではなく、少し斜めにズレた感じで建っています。

それがこの画像です。

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もともと伊勢神宮は三人の神様を祀っていました。

それが先述した「造化三神」あるいは「原初三神」で、天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神を祀っていました。

それがある時、急に変わります。

それはなぜか?

その答えを出す前に・・・

伊勢神宮のもとは「物部氏」が最初だったというこを、物部氏はずっと言い続けていましたよね。

内宮、外宮、伊雑宮で三宮です。ここで「3」という数字が出てきましたよね。

伊勢神宮は3つで1セットなのです。

ところがある時、それを急に今の形に変えたのです。

これが伊勢神宮最大の謎の入り口でもあるのです。

もし、物部氏の言い続けてきたことが事実なら参拝の仕方はこういう順序です。

伊雑宮 → 外宮 → 内宮 となります。

こちらが伊雑宮の画像です。

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