今では「琉球民族」と言えば沖縄人を指しますが、
そんな琉球民族も大昔は西日本側に住んでいました。

記紀神話に登場する「熊襲(くまそ)」という民族がいます。

これは、現在の熊本県の人吉周辺から鹿児島県の霧島あたりまで存在した民族
という説がありますが、実際は琉球民族も含めて熊襲だったのです。

しかし、大和民族が日本に上陸してからは、彼らはどんどん南に追いやられます。

最終的には九州を出て沖縄まで逃げざるを得なくなったのです。

つまり、弥生土器を作ったのは実は琉球民族だったのです。

次の画像は琉球民族の男性です。

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では東日本側には、どんな民族がいたのか?

魏志倭人伝には、卑弥呼に対抗する邪馬台国と、ほぼ同じ勢力をもった民族の国が南にあったと書いてあります。

これが「狗奴国(くなこく)」です。

狗奴国は男の王が治めていました。

狗奴国は、卑弥呼(女の王)が治める邪馬台国と絶えず戦争をしていました。

大昔は、九州を北に日本が逆立ちしてたという話はしましたよね。

当時は、西日本(北側)には琉球民族、そして、東日本(南側)には蝦夷(えみし・えぞ)がいました。

夷(えぞ)と言えば「アイヌ民族」のことです。

卑弥呼像

卑弥呼像

大昔は北ではなく、南にアイヌ人が住んでいたのです。

次の画像がアイヌ民族。

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そしてアイヌ民族と琉球民族は絶えず戦争していたのです。

まだ東日本と西日本が離れている時代には戦争はしていなかったのですが、
東日本と西日本が衝突後、くっついてからは、領土問題で戦争を起こすようになったのです。

だから中国の多くの史書には「倭国大乱(わこくたいらん)」の記述があるのです。

また、邪馬台国の人々も狗奴国の人々も入れ墨をしていました。

アイヌ民族も琉球民族も入れ墨をしていました。

大和民族は皮膚にペイントはしてましたが入れ墨はしていませんでした。

次の画像がアイヌ民族の入れ墨(女性は口に施す風習があった)

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大和民族が日本に入ってきてから、琉球民族が追いやられたのは、
「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」という、
征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)が蝦夷の征伐を行ったからです。

※征夷大将軍とは、元来は「蝦夷(アイヌ民族)」を征伐することを任せられた大和朝廷の特別な役職。

坂上田村麻呂

坂上田村麻呂

南にいたアイヌ民族は、最終的に北の端まで追いやられ、琉球民族は南の端まで追いやられることになったのです。

その後、大和民族が日本を支配。

これが、起源3世紀〜4世紀頃にかけて起こった古代日本の出来事なのです。

実はこうしたことは、宮崎アニメの「もののけ姫」でも示唆を与えています。

宮崎アニメのほとんどは裏事情が含まれてますけどね。