前回ではイザナギとイザナミという男女の神をご紹介しました。
イザナギとイザナミの話は「フリーメイソンの真実」で登場したことを憶えてますか?

陰陽道では、男=陽、女=陰です。

これは、男性は出ていて女性は窪んでいるからではないでしょうか?

はい、これは性器のことを言っているのです。

ちょっと余談ですが、なぜ男性器を「チ○ポ」と呼ぶかご存知ですか?

終戦直後までは天皇は自分のことを「朕(ちん)」と申されていました。

※日本憲法で「天皇は国民の象徴」とされてからは、「私」や「僕」と申されるようになりましたが。

天皇が自分のことを指される「チン」…そして、天皇の刀のことを鉾(ホコ)と言います。

これを合わせると「朕鉾(チンホコ)」になります。

男性器は「自分の刀」と言う意味から、「朕鉾(チンホコ)」と名づけられ、
それが転じて「チ○ポコ」や「チ○ポ」になったのです。

※当て字として、珍しい矛「珍矛」とも書きます。

一方、女性は子供を沢山生んだ方が良いとされていたことから、「万」人の「子」供を産みなさい・・・
ということで「万子」…つまり「マ○コ」になったのです。

これはジョークなどではなく本当の話です。

さて、話を本題に戻しましょう。

イザナギとイザナミが、オノコロ島に降り立った後、
大きな石の柱を建てたことは先述しましたが、この石の柱はセックスを表します。

これは、棒を立てて、島に突き刺さなければ子供ができない…という意味です。

陰陽道でいうと、男は陽と東(日が昇るという意味から)を表し、
女は陰と西(日が沈むという意味から)を表します。

つまり、男神:イザナギ(東)と女神:イザナミ(西)が夫婦になったというのは、
東日本(男)と西日本(女)が衝突したことを示唆しているのです。

少し前にお話ししたプレートテクトニクスの話を思い出して下さい。

国産みの図

国産みの図

九州含めて近畿あたりまでは西日本…つまり女です。

子供を産むのは女(西日本)です。

だから淡路島、四国、九州などの島(子)ができたわけです。

子供が生まれたとはいえ、実際はヴェーゲナーが提唱していた大陸移動説のように、
一つだった島が割れて散らばっていったのです。

その証拠に淡路島、四国、九州、中国地方、紀伊半島も含め、
これらの島々はジグソーパズルのようにピッタリと合って一つの島が完成します。

しかし、こういったことが全くといっていいほど知られていないのは、
あんな神話など嘘に決まっていると軽視されているからではないでしょうか。

それとも分かっているのに表に出せない何かの理由があるのか?

こうした記紀神話というのが、大昔の謎を解くという意味では、
とても重要で意味が深いものだと学者たちはしらないのです。

さらに東と西の衝突の際のことを細かくいうと、西日本が強力な力で東日本を押したことでヒビが入りました。

それでできた島は極小の沢山の島でした。

これが、今の瀬戸内海にある無数の島々です。

今度はその逆で、東日本が西日本を押してできたのが、日本アルプスとフォッサマグナなのです。

そう、東と西は押し合いへし合いをしてきた歴史があるのです。

このことは、古事記日本書紀にちゃんと記されています。

神話だからと馬鹿にはできないのです。

さて、西日本と東日本は押し合いへし合いをしてきたわけですが、
西日本は女だから子供(島)を産めます。

だからできた子供たち(島々)は西日本側から産まれたものなのです。

東日本と西日本が押し合いへし合いをしたのは、プレートという流れるベルトコンベアーの上で、
最終地点の潜り込みの部分に集まってきた島々がぶつかり合ったからです。

そうしたベルトコンベアーの上に日本が鎮座しています。

北海道も昔は今の場所ではなく、現在の小笠原諸島付近にありました。

つまり亜熱帯地方に北海道が存在していたというわけです。

それが、どんどん動いて行き、今の位置まで辿りついたのです。

このことが「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に書いてあるのです。

※魏志倭人伝とは、中国の歴史書「三国志」中の魏書、第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称を指す呼称。

邪馬台国の女王である卑弥呼が存在していた時代(2〜3世紀頃)に北海道の記録があり、
それには当時の日本列島の東海上、××百里地点に大きな陸の塊があると書いてあるのです。

現在の日本列島の真東には陸の塊なんてありません。

となると、唯一考えられるのは北海道しかありません。

さて、ここで問題ですが「貝塚」とは何でしょうか?

現在は生活ゴミは回収してくれますが、大昔にはそんなものはありませんでした。

そこで古代人類は住んでいる近くに穴を掘って、そこをゴミ捨て場にしていました。

その大昔のゴミ捨て場の跡のことを貝塚といいますが、そもそもなぜ「貝塚」と言うのでしょうか?

それは、主に貝殻等が積み重なっているからです。

大昔の人は貝を食べていたんですね。

貝殻以外にも獣や魚の骨など食料の残滓だけでなく、土器や石器なども混ざっていることもあります。

それが近代になって、主に貝の塊として発掘されたのが「貝塚」というわけです。

この貝塚が北海道にはたくさん出てきています。

しかも北海道の貝塚は、なぜか蛤(ハマグリ)です。

実は蛤というのは、温い場所にしかいない貝です。

ところが北海道は寒冷地なので蛤がいるはずがありません。

通常は九州などの温い地域にしかいない蛤の貝塚が、なぜ北海道のあちこちから出てくるのでしょうか?

これを、お馬鹿な学者たちは大昔に九州から北海道まで大船団を率いて、
大量の蛤を運んでいたに違いないと考えているようです。

しかし、当時の船で九州から北海道までのルートは時間もかかり、運んでいる間に貝は腐り、波も荒いので現実的に困難です。

貝塚

貝塚

しかしそれは、長距離を移動するのに数百万年〜数千万年の長期のスパンが必要だと考えているようです。

学者には、プレートテクトニクスによって大陸が移動した…という考えは、確かにあるのかもしれません。

彼らの考えているタイムスケールでは全く謎が解けないのです。

それよりも、北海道は南にあったというのが自然です。

前述したように魏志倭人伝にも、そう書いてあるのですから。

また、魏志倭人伝には日本列島には四季がないと書いてあります。

つまり、春夏秋冬がないということ。

では、現在の日本はどうでしょうか?

見事なまでに春夏秋冬がありますよね。

実は当時の日本列島は、九州を上にして逆立ち状態だったのです。

ということは、九州が一番大陸に近い訳ですから、当然「魏の使節(ぎのしせつ)」は九州から上陸したでしょう。

一般的な説のように「魏の使節」は、北海道から上陸して九州に南下したわけではないのです。

※魏(ぎ)とは、220年〜265年頃、中国の三国時代に華北(中国北部のこと)を支配した王朝のことで、
使節とは、君主の命令を受け他国に派遣された人のこと。

九州を上にして逆立ち状態で、北海道が小笠原諸島辺りだったいうことは最南端に位置していたのは青森県になります。

イメージの地図はこちら。

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このように、魏志倭人伝に書いてあることを今の日本列島に当て嵌めます。

すると、九州を上にして逆立ち状態にするとピッタリと辻褄が合うのです。

このように、昔の日本は南端が青森で、しかも青森付近は台湾に隣接していたのです。

すると日本は亜熱帯地方となり、四季がなくなるわけです。

こう考えると、魏志倭人伝に書いていある記録とピッタリと合います。

当時のプレートは、もの凄い速さで動いていたので、日本列島は押し合いへし合いで翻弄され、
回転しまくっていた可能性が高いのです。

その押し合いへし合いも最終的には、フィリピン海プレートが大きな力を持ち、
現在の静岡・山梨付近で楔(くさび)のように押し上げられます。

そのお陰で動きは止まり、今の日本列島が形成されたのです。

日本列島の動きが止まったために、静岡・山梨辺りに突き刺さった楔の役目をしていたプレートが大噴火…
そしてできたのが富士山というわけです。

つまり、これは数万年前などの話ではなく、まだ2000年も経ってない有史時代に起こったことなのです。

これは、ただの仮説などではありません。

昔の中国の文献にも九州は北に描かれてますし、後の足利時代に作られた韓半島の屏風には、
ちゃんと日本列島が九州を北に逆立ちした状態で描いてあるのです。

勿論、足利の時代には現在の日本列島が形成されていたのですが、当時は古地図をもとに写して描いてたため、
足利の時代以降でもそのように描かれていたというわけです。

日本が逆さに描かれています。

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上の2つの画像を見て何かお気づきでしょうか?

そう、北海道がありませんよね。

前にも言いましたが、やはり北海道は別の位置にあったのです。

さて、大昔の日本は動き回っていたわけですから、毎日のように大地震ばかり起こっていたし大津波も頻繁にきていたでしょう。

しかし、当時はどんなに大地震が起ころうとも、今のように大騒ぎする必要もなければ、特に心配する必要もありませんでした。

なぜなら当時は高い建物がなかったからです。

津波対策として、海岸近くに住まなければ良かっただけの話なのです。

こうしたことが古事記日本書紀に書かれているということは、記録年代…
つまり紀元後のことなのです。

邪馬台国は今の米国と同じで、州がいくつもある連合国家のようなものでした。

だから九州も邪馬台国でした。

そして、卑弥呼の都が「纏向(まきむく)」だったというわけです。

※纒向は、現在の奈良県桜井市にある当時の大集落のこと。

当時の纒向のイメージ図

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そして九州はといえば、大陸との出入り口だったというわです。