漢字は日本人が作った!?

唐突ですが「ニギハヤヒ」の正体をお教えしましょう。

それは、ズバリ「徐福」です!!

「徐福」は中国から来た人物と伝えられています。

中国最古の国史「史記」という文献があります。

これは中国が漢時代だった頃(紀元前)に「司馬遷(しばせん)」という歴史家がまとめたものです。

この司馬遷が書いた史記「淮南衝山列伝(わいなんこうざんれつでん)」によると、
「徐福」のことをこう書いてあります。

徐福

徐福

 

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その昔、東方の三神山(蓬莱)には、不老不死の霊薬があり、
その霊薬を飲めば、老化もしなければ死なない体になる、
という伝説があり、徐福は秦の始皇帝にそのことを具申した・・・と。

三神山(蓬莱)の地図

三神山(蓬莱)の地図

 

※秦の「始皇帝」とは、つまり中国で初めての皇帝のこと。

この始皇帝は、徐福にその霊薬を取ってくるように命じます。

始皇帝の命を受け、徐福は大勢の童男童女と技術者を船に乗せ船出したのです。

しかし、霊薬は見つからず、徐福だけが始皇帝のもとへ帰ってきます。

普通ならここで、徐福の首は飛ぶはず。

ところが、始皇帝はまた大勢の人々を船に乗せ、徐福と一緒に送り出したのです。

その後、徐福が始皇帝のもとへ帰ってくることはありませんでした。

始皇帝と言えば、万里の長城を築いた人物でも知られています。

ただし、万里の長城は始皇帝の時代の後にも何度も増築されています。

この始皇帝の時代に、漢字の元の元が作られたのはご存知でしょうか?

始皇帝

始皇帝

その前の中国では、「亀甲獣骨文字」や「金文文字」などでしたが、
始皇帝によって漢字の元の元が完成したのです。

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その漢字が日本に渡ってきたと伝えられています。

そうした意味では、始皇帝と日本は無縁ではありません。

その始皇帝から来たのが「秦氏」です。

秦氏たちは、自分たちは秦の始皇帝から逃げてきたと言っています。

一方、徐福は始皇帝から派遣されてきたと言っています。

時代的に言えば、神武天皇は紀元後3世紀で始皇帝は紀元前です。

その間、数百年の時差があります。

ということは、物部氏が先に来たということがわかります。

すると話の辻褄がピッタリと合うのです。

つまり、始皇帝から来た「物部氏」が「徐福」であり「ニギハヤヒ」でもあるのです。

そう、この三人は同一人物なのです。

さて、これまでの話を聞くと、徐福は漢民族・・・すなわち中国人だと誰もが思うでしょう。

ところが史記には「始皇帝は漢民族ではない可能性がある」と書いてあるのです。

さー、始皇帝が漢民族でないとなると世界は大変なことになります。

現在の中国人たちは、世界最初の「皇帝」は我が中国人だったと考えています。

そんな中国人にとって、始皇帝は彼らの象徴であり、
漢民族の優位性を世界に伝えるものとして大変都合が良いのです。

それが中国人のアイデンティティでありポリシーでもあるのです。

なのに、始皇帝が漢民族ではないとなると、中国の歴史は根底から覆されることになります。

漢民族の優位性どころか中華思想までもが崩壊することになるのです。

始皇帝が漢民族ではない証拠の一つとして、始皇帝の実の父親で、
宰相(古い時代の中国の首相)まで登りつめた人物が、漢民族ではなかったことが挙げられます。

その人物は、豪商(大商人)で、始皇帝のスポンサーで「呂不韋(ロフィ)」という名前でした。

ヘブライ語で「ロフィ」とは「癒し手」という意味。

「エホバ・ロフィ」とすれば「癒し手なる主」となり、立派なヘブライ語になるのです。

これは中国語の読みでは絶対に分かりません。

その漢字を日本語の読みにすれば正体が分かるということは、
日本人の祖が秦にいた頃、漢字を編纂した証拠になるのです。

このロフィの愛人を所望した漢民族の王がいて、ロフィは嫌々ながら自分の愛人を王に進呈したのです。

ところが、この愛人は既にロフィの子供を腹に宿していました。

そして、生まれた子供が後の始皇帝だったというわけです。

なので始皇帝の実の父親は、当時の漢民族の王ではなく、ロフィです。

ということは、始皇帝はヘブライ人・・・すなわちユダヤ人というわけです。

さらに、始皇帝と徐福は同じ「瀛」という苗字で同族です。

一説では徐福は「ジョセフ(ヨセフ)」ではないか?と言われ、
「ヨセフ」といえば、旧約聖書の創世記に登場するイスラエル人を大飢饉から救った人物でもあり、
ユダヤ人の祖であるヤコブの子でもあるのです。

このように、日本のことを深く掘り下げて調べていくと、
どうしても日本人の祖はユダヤ人なのです。

これで分かりましたか。

日本人というのは他の民族とは違う特別な民族であるということを・・・

だから私たち日本民族が目を覚まし、本領発揮すれば世界を変えることが可能なのです。

いいえ、私たち日本人にしかそれはできないのです。

余談ですが「徐福」が上陸したのは若狭湾の天橋立です。

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徐福が上陸した場所だけにあって、実に神秘的な所ですよね。

この天橋立には、冠島(かんむりじま・別名雄島)と沓島(くつじま・別名雌島)がありますが、
これら二つの島の名前は、中国の道教思想の中で、
仙人が沓(靴)と冠を残して旅立つ・・・という伝説が由来しています。

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この二つの島も籠神社が管理していることから「物部氏=徐福」だということがわかります。