物部氏と秦氏

物部氏(もののべし・もののべうじ)をご存知でしょうか?

物部氏とは、河内国(かわちのくに)の哮峰(いかるがのみね)に、
天孫降臨したと伝えられる「ニギハヤヒ」を祖先とする氏族です。

※河内国の哮峰とは、現在の大阪府交野市。

もう一つ。

秦氏(はたし・はたうじ)をご存知でしょうか?

秦氏とは、古代、日本に渡来してきたと考えられている氏族。

今回は、この二つについて語りたいと思います。

物部氏の存在は未だ謎となっていて、一方の秦氏のことを、
日本の学者は単なる渡来人として見ているようですが、
実はこの秦氏が日本の神道や神社、仏閣の元を作ったのです。

金毘羅、稲荷神社、春日神社もそうです。

摂社・末社が存在する重要な神社は全て秦氏が作ったものなのです。

当然、伊勢神宮も秦氏が作ったものです。

伊勢神宮の本当の持ち主は天孫族…すなわち天皇陛下だということは紹介しましたよね。

神社の本社は勿論のこと、摂社・末社に至るまで、
全て天皇家の持ち物だということを知っている人は少ないと思います。

そう、日本の全ての神社の真のオーナーは天皇陛下なのです。

ということは、つまり天皇家の元が「秦氏」なのです。そして、この「秦氏」よりも「物部氏」は古いと言われています。

籠神社で祭っている主神(しゅしん)には「ニギハヤヒ」という名前があります。

前にも言いましたが、神武天皇が日本に来た時には、既にニギハヤヒが大和民族として存在していました。

「大和・倭」の「やまと」とはヘブライ語です。

これはヘブライ語(イスラエル語)で「ヤハウェの民」という意味でしたよね。

ヤハウェは、絶対神または唯一神とも呼ばれる「神」のことです。

マトゥーは、「民」を指します。

ヤハウェの「ヤ」と「マトゥー」で「ヤマトゥー」。

これが転じて「ヤマト」になったのです。

ということは「ニギハヤヒ」の正体は「物部氏」だということがわかるのです。

となると、卑弥呼には物部氏の血の半分を受け継いでいることになります。

卑弥呼が行ってたのは神道です。

そして神道と言えば、昔は神主が神降ろしを行っていました。

その神降ろしをチェックし、見極める人が「審神者(さにわ)」です。

では「物部氏=ニギハヤヒ」は、いったいどこからきたのか?

神武天皇は、大陸から朝鮮半島を通り、日本に上陸したことがわかってます。

天皇家の元は「秦氏」でしたよね。

つまり、初代の天皇である神武天皇こそが「秦氏」なのです。

そして秦氏は、大陸では「秦人(はたびと)」と書かれてます。

秦氏は騎馬民族として朝鮮半島にやってきて国を作り、
朝鮮半島の南にも国を作り、今度は急にいなくなってます。

このことが中国の記録に残っているのです。

なぜ秦氏たちは急にいなくなったのか?

実は秦氏たちは船を作り、日本に渡ってきたのです。

「神武=秦氏」が大陸から朝鮮半島を経て、日本に上陸したということは、そのルートも含め全て判明しているのです。

それが証拠に彼らが作った朝鮮半島には「秦」という字がありました。

ところが、後に「新羅(しらぎ)」に変わります。

新羅とは古代の朝鮮半島南東部にあった国家を指します。

こちらが新羅の地図です。

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また、秦氏が作った京都の「太秦(うずまさ)」の中心地は、広隆寺も含め新羅様式です。

そして秦氏が朝鮮民族ではないということもわかります。

もともと朝鮮には馬韓(ばかん)という朝鮮半島南部に存在した部族集団の国がありました。

※「馬韓(ばかん)」の他にも隣接する「弁韓(べんかん)」と「辰韓(しんかん)」があり、
この三つの国のことを総称して「三韓(さんかん)」とも呼びます。

こちらの地図を見てもわかるとおり、現在の韓国辺りが「馬韓」です。

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この馬韓は秦人に国を半分取られます。

取られますが、後に秦人は馬韓からいなくなったので返還されたのです。

つまり、日本民族と朝鮮民族は同じ民族ではなく、全く関係のない民族なのです。

勿論、文化的には影響を残したので受け継がれている面もありますが。