天皇入れ替え説

安重根

幕末期から明治時代にかけて、天皇を入れ替えた説があることをご存知でしょうか?

実際のところ、この説は真相はどうなのか?

少しだけ天皇家の謎に迫りたいと思います。

幕末期最後の天皇は孝明天皇でした。

孝明天皇

孝明天皇

長州藩は、蛤御門(はまぐりごもん)も含め、京都を焼け野原にして、
そのスキを狙って孝明天皇を長州へさらってしまいます。

これには岩倉具視が加担したという説もあります。

蛤御門

蛤御門

蛤御門とは、現在の京都御苑西門の一つで正式名称は新在家御門。

門の形状は高麗門型の筋鉄門。

光格天皇の頃に発生した天明の大火で御所が炎上した折に、
滅多に開かなかったこの門がこの時だけは開いたということから、
「固く閉じていたのが火に焙られて開いた」ということから、
蛤のような門として蛤御門という俗称が付きました。

この話は、伊藤博文の暗殺事件まで尾を引きます。

かつて、安重根(あんじゅんぐん)という人物が存在していました。

安重根

安重根

彼は朝鮮の独立運動家で当時は初代韓国統監を務めていました。

伊藤博文を暗殺したのがこの安重根です。

彼は裁判の時に伊藤博文を暗殺した理由をこう言っています。

「伊藤が天皇を殺してから許せなかった」と。

実は、安重根は韓国を独立させるためやったわけではありません。

あれは韓国人が作った捏造なのです。

なのに、これを公にしたら韓国人を刺激するからということで、
日本では、言ってはいけないことになっているのです。

安重根は、実は岩倉具視の手引により天皇を槍で突き殺したのです。

このことは、当時の天皇付き侍医が記録を残しています。

当然、天皇の子供も一緒に暗殺されています。

そうすると辻褄があうのです。

毛利が後醍醐天皇の子孫を匿って、山口県に連れてきていたのです。

後醍醐天皇の時に、南朝・北朝が、交互に皇位につくことが取り決められていたにも関わらず、
足利の連中が嘘を言って北朝が武家の幕末最後まで続きましたが、
あれは天皇家とは全く関係のない血筋の人間で天皇家の血は一切入っていなかったのです。

だから、岩倉具視たちにとっては殺してもいい人物だっというわけです。

本当は真の天皇を連れて行って長州で元の南朝系に入れ替えるはずでした。

しかし失敗したのです。

長州に南朝系の天皇が匿われているってことを知ったのです。

だから長州征伐が起こったのです。

結局のところ入れ替えは行われました。

でも天皇が京都に居ると顔でバレてしまいます。

だから天皇を京都から東京に移したというわけです。

それ以後、明治天皇は南朝系が正しいということを発表しました。

おまけに楠木正成(くすのき まさしげ)の像を皇居の前に置きました。

あれは南朝の守り神という意味なのです。

皇居前の楠木正成の像

皇居前の楠木正成の像

ということで、間違いなく天皇は幕末の動乱期に入れ替わっています。